柔道金メダリスト、山下泰裕氏が「夢への挑戦」を語る 
フォーラムエイト設立30周年記念講演会を開催(フォーラムエイト)

2017年7月13日

設立30周年を迎えたフォーラムエイトは、2017年6月13日に東京・帝国ホテルで記念式典会を開催した。特別講演では柔道金メダリスト、山下泰裕氏が「夢への挑戦」をテーマに語った。1984年ロス五輪で肉離れに見舞われながらの奇跡的な優勝劇や、日本柔道連盟の理事として取り組んだ柔道界の改革・改善、そして柔道を通じた世界平和について、山下氏が明らかにした話を紹介する。

フォーラムエイト設立30周年記念式典で特別講演を行う柔道金メダリスト、山下泰裕氏

フォーラムエイト設立30周年記念式典で特別講演を行う柔道金メダリスト、山下泰裕氏

   「全力で今を生きること」が勝ち続けた理由

今日は「夢への挑戦」という題でお話ししたい。オリンピックの現役選手時代のことだけでなく、むしろ現在、自分が取り組んでいる挑戦について語りたいと思う。

私は子どものころから体が大きく、わんぱく少年だった。当時の“悪行”については、1984年のロサンゼルスオリンピックで優勝した後に、同級生たちからもらった表彰状でも触れられていている位だ。この表彰状は、過去の私の栄光を物語るものとして、たった1つ、事務所の目に付くところに飾ってあるものだ。

そんな私が柔道を始めたのは、小学4年のときだった。そのきっかけは、私がこわくて登校できないというクラスメートが出たことだった。「このまま大人になったら、人さまから後ろ指を指される人間になってしまうのでは」と、心配した両親が私に柔道を勧めた。「柔道は勝ち負けだけではない、その人を育み、育ててくれるに違いない」と考えたからだった。

子ども時代の山下氏(矢印)。ひときわ体格が大きかった

子ども時代の山下氏(矢印)。ひときわ体格が大きかった

教室で暴れると問題だが、柔道はルールを守ってさえいれば、どんなに暴れてもかまわない。柔道は私の闘争心を大いに満たしてくれた。そして、だんだん、柔道にのめり込んでいった。

中学時代の監督だった、白石礼介先生のような恩師との出会いも、私の人生を変えていった。白石先生は「柔道でがんばれたことを、普段の生活でも実践していきなさい」と言われた。この教えが今でも、私が取り組んでいることの、根幹の教えになっている。

私は過去を振り返ることを良しとしない。目標、夢、志といったものを常に持ちながら、今の瞬間を全力で生きてきた。

現役時代には、マスコミの人たちから「なぜ、あなたはこんなに勝ち続けることができるのか」と何度も聞かれたことがある。そんなとき、私はこのように答えた。勝ち続けたのは過去のことだ。

大事なのは次の試合にどうやったら勝てるか、どうやれば自分の理想とする柔道ができるかを考えることだ。私が勝ち続けられた理由をあえて言えば、過去を振り返らず、常に前を向き、目標を見失わないように生きてきたからだと思っている。

   中学時代の夢が実現した奇跡の金メダル

私には3回、オリンピックに出場できるチャンスがあった。1回目は1976年のモントリオールはわずかな差で補欠となり、出場はかなわなかった。2回目は80年のモスクワは、前年に起こったソ連軍のアフガニスタン進行によって日本はボイコットした。そのとき、私は代表選手になっていたが幻のオリンピック選手と呼ばれた。

現役選手時代を語る山下氏

現役選手時代を語る山下氏

そして3回目のチャンスで、初めて出場したのが84年のロサンゼルスオリンピックだ。やるべきことをやり尽くし、万全の準備で臨んだオリンピックだったが、情けないことに私は2回戦で軸足である右足のふくらはぎを肉離れしてしまったのだ。足を引きずりながら試合するという苦しい戦いになった。

何とか決勝に進んだ。試合の2分前、日本代表チームの監督で、東海大学の恩師でもある佐藤宣践氏にこう言われた。「お前の足の状態では、どう考えても相手を投げることはできない。何とか寝技に持って行け。そのチャンスがなかったら、最後の手段はわざと投げられろ。一本を取られなければ、寝技に持って行ける」というアドバイスだった。

その決勝は、誰も予想しない試合展開となった。相手となったエジプトのモハメド・ラシュワン選手は身長193センチ、体重145キロと、私より一回り以上大きかった。試合場の真ん中で彼はいきなり、私の左足に技を仕掛けてきたのだ。すっと足を引いたら、空振りした。そしてちょっと手を加えたら、勝手にこけてしまったのだ。相手は「しまった」という顔をしていた。

そのラシュワン選手を押さえ込んで、私は勝ちました。柔道の経験者ならわかるが、こんな試合は100回やって1回か2回しかない。そんなチャンスを生かして、私は金メダルを取った。

1984年の米国・ロサンゼルス五輪で、肉離れに見舞われながらもエジプトのモハメド・ラシュワン選手を寝技で破り、金メダルに輝いた瞬間

1984年の米国・ロサンゼルス五輪で、肉離れに見舞われながらもエジプトのモハメド・ラシュワン選手を寝技で破り、金メダルに輝いた瞬間

過去を振り返ることを良しとしない私だが、あの表彰台の一番高いところに上り、日の丸が揚がるのを見ながら君が代を聞いたときのことだけは忘れない。「オレは世界で一番幸せな男だ」と心の底から思った。

オリンピックで勝つことは簡単ではない。自分が勝てたのは自分自身の夢を実現したいという気持ちがあったからだと思っている。もちろん、恩師やけいこ相手など、多く人たちに支えられたてくれたに恵まれたことも大きかった。その人たちには、後の人生で恩返ししたいのだ。

実は中学時代に「将来の夢」という題の作文を書いた。そこには次のようなことを書いた。「僕は柔道が大好きだ。一生懸命練習に励み、柔道の強い高校や大学に行きたい。僕の夢は柔道選手としてオリンピックに出場し、メインポールに日の丸を仰ぎ見ながら、君が代を聴けたら最高だ。現役引退後は、柔道のすばらしさを世界の人たちに広げるような活動をしたい」と。

   柔道ルネッサンスのリーダーに立候補

ロス五輪の後、私は現役を引退し、指導者としての道を歩き始めた。92年のバルセロナ五輪の後、全日本柔道男子の監督となり、96年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪まで8年間務めた。

このころ、日本の柔道界ではマナーの悪さが問題になっていた。大会の会場を借りるため、市役所や町役場に行くと「柔道の大会は、勘弁してほしい」と言われることもあった。それほど、会場の使い方のマナーが悪かったのだ。

勝つだけの柔道ではダメだと思った。柔道の父と呼ばれる嘉納治五郎先生も、柔道を通じた人づくりや人間教育の実践を唱えておられた。柔道界の風潮も「最強の選手づくり」から「最高の選手づくり」へと変えていかなければ、と思った。

そこで2001年、既に日本代表の監督を降りていた私は、日本柔道連盟で「柔道ルネッサンス運動」のリーダーに立候補し、活動に取り組んだ。そのとき2種類のポスターを作った。1つはヤワラちゃんこと田村亮子や篠原真一、井上康生などの人気選手の写真に、柔道で大事にしたい「夢、友情、敬愛、挑戦」の言葉を入れた若い選手用のものだ。もう1つは、嘉納先生をバックに「精力善用」「自他共栄」という言葉を入れた指導者用のものだ。

柔道ルネッサンス運動のポスター

柔道ルネッサンス運動のポスター

年々、柔道界のマナーは変わっていった。04年くらいになると、日本武道館や東京体育館を使った大会などで、「最近の柔道界はマナーがよくなりましたね」と褒められることもあった。会場のトイレでは、使用後のスリッパがそろうことも当たり前になった。

06年、07年ごろになると、「もう柔道のマナーはよくなったではないか。いつまでこんな活動をやっているのだ」という声が出始めた。その裏には、運動のリーダーたちが「自分たちが日本の柔道界を変えたのだ」と、謙虚さが欠けていたのではと思う。

当時は都道府県単位で柔道ルネッサンス委員会ができ、多くの人たちが運動に取り組んでいた。日本の柔道界の意識が変わったのは、これらの人たちが現場で取り組んだ努力の結果であったにもかかわらず、リーダーたちは「自分だけの力で変わったように感じている」と、周りから思われていたのだ。そして08年で、この柔道ルネッサンス運動は活動を終えた。

   再び、「暴力の根絶プロジェクト」で立ち上がる

それから4、5年たつと、日本の柔道界は、あっという間に「勝ってなんぼ」の柔道界に戻ってしまった。2013年3月には、女子柔道強化選手による暴力告発問題が起こった。助成金の不正受給やセクハラ問題なども表面化した。柔道界はマスコミから徹底的にたたかれる状況になった。

現場の指導者からは、「子どもたちが下を向いている、堂々と柔道をやっていると言えなくなっている」「新規の入門者が全く来ない」といった悲痛な声が、私の元にも寄せられるようになった。

超満員の会場

超満員の会場

全日本柔道連盟の会長も、「柔道人の体質は、そう簡単に変わるものではない。何かいい方法はあるか」と困り果てていた。何か自分にできることはないかと、考えた結果、行き着いたのが「暴力の根絶プロジェクト」を立ち上げることだった。

「もし、会長がやると言われるのなら、私はリーダーをやります」と申し出た。そして14年4月に運動が立ち上がり、再び、様々な活動を展開することになった。同年8月、当時の全日本柔道連盟の執行部は総退陣し、合併直後だった新日鐵住金の会長兼CEOだった宗岡正二氏が全柔連の新会長に就任した。

宗岡氏は会長を引き受けるとき、山下が副会長として会長を支えることという条件を出された。そして「礼節を重んじ、礼節のある柔道界を作っていこうよ」とおっしゃったのだ。

「暴力の根絶プロジェクト」はマスコミからも好意的にとらえられた。そして、気がついたのは自分たちが目指すのは、暴力の根絶だけでなく、柔道を人づくり、人間教育の場に戻すことだった。活動が始まって半年後には、ネーミングを「MIND(マインド)」に変えることになった。

Mはマナー、Iはインディペンデンス、Nはノビリティー、Dはディグニティーの頭文字をとったものだ。この4文字で礼節、自律、高潔、品格を象徴した。嘉納治五郎先生の精神を引き継いだ運動は、現在も続いている。

「暴力の根絶プロジェクト」から「MIND」にネーミングが変わった活動は、今も続いている

「暴力の根絶プロジェクト」から「MIND」にネーミングが変わった活動は、今も続いている

   柔道を通じて世界平和を目指す

暴力の根絶プロジェクトに先立つ2006年には、当時の神奈川県知事だった松沢成文氏に口説かれ、神奈川県体育協会の会長に就任した。真っ先に取り組んだのはいじめの防止だった。

協会には陸上、水泳、バレーボール、バスケットボール、体操、サッカー、柔道、剣道など県内のほとんどすべてのスポーツ団体が加盟していた。その緊急集会で、「フェアプレーの精神をスポーツだけでなく、日常生活の場でも生かそう。いじめを許さないという活動に協会全体で取り組んでいきたい」と会長として訴えた。すると全員が賛成してくれた。

「日常生活でもフェアプレー」という標語を掲げて、いじめ撲滅の活動に取り組んだ。スポーツで大事なことは、ルールを守ることとフェアプレーの精神だ。ここでもいろいろなポスターを作った。

1枚目だけは言い出しっぺが出なさいということで私が登場したが、2枚目からは神奈川県にゆかりのあるスポーツ界のスターに登場してもらった。サッカーの中村俊輔選手、WBCで優勝した侍ジャパンの原辰徳監督、テニスの杉山愛選手、女子サッカーの川澄奈穂美選手などだ。今は体操の白井健三選手のポスターを使っている。

これらのポスターは2万3000部印刷し、県内の教育機関はもちろん、図書館や公民館、交番、JRや私鉄の電車やバスにも張ってもらった。

いじめ防止運動では「日常生活でもフェアプレー」という標語のポスターを作った

いじめ防止運動では「日常生活でもフェアプレー」という標語のポスターを作った

2014年に協会を退いた後も、日本の高校の授業で不要になった柔道着をリサイクルして発展途上国に贈ったり、イスラエルやパレスチナを含めた海外の柔道指導者や子どもを招いて同じ畳の上でけいこしたりした。日本外務省の草の根文化無償資金で、2007年には中国・青島に、2010年には南京に日中友好柔道館を建てた。

2005年には柔道家でもあるロシアのウラジーミル・プーチン大統領が当時の小泉純一郎首相との首脳会談を行った際、嘉納治五郎先生の直筆の掛け軸をプレゼントした。その後、プーチン大統領から手紙で、「ぜひ時間を作ってロシアに来てほしい。そして私と一緒に柔道着を着て、ロシアの子どもたちに柔道を指導してほしい」と頼まれた。その年の12月、井上康生選手と一緒にロシアに渡り、プーチン大統領との約束を果たすことができた。

プーチン大統領との交流は、その後も続いている。2016年12月に安倍晋三総理とともに講道館で演武を見た際、2017年9月にウラジオストックで開催される東方経済会議で、日ロ柔道大会を開くことが決まった。プーチン大統領や安倍首相、森喜朗元首相も参加することになっている。

ロシアのプーチン大統領との柔道を通じた交流は続く

ロシアのプーチン大統領との柔道を通じた交流は続く

全日本柔道連盟では、これからも柔道ならではの国際貢献、国際交流に取り組んでいく。発展途上国への支援だけでなく、それを通じて柔の心や和の心、日本の心を世界に発信していきたい。


特別講演後は、多数の関係者が出席し、山下氏も交えての祝賀会。主催者挨拶側に続いて、学界、政界、関連業界の団体などより来賓と祝辞が紹介され、世界各国のVR研究者グループWorld16の面々から届いたビデオメッセージが再生された。さらに、「30周年記念ユーザー感謝スプリングキャンペーン」の抽選会も開催された。フォーラムエイトのユーザーと社員は、帝国ホテルのシェフが腕を振るった料理を囲みながら、楽しいひとときを過ごした。

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